太陽光発電の歴史

太陽光発電技術の起源

太陽光発電技術の起源は、アレクサンドル・エドモン・ベクレルというフランスの物理学者が「光起電力効果」(金属に光を当てると電気が発生する現象)を発見した1839年までさかのぼります。その約50年後、チャールズ・フリッツが光起電力効果を活用した「セレン光電池」を発明。発電力は実用レベルには程遠いものでしたが、太陽電池の初期モデルが誕生しました。

20世紀半ばの1954年、アメリカのベル研究所にて「pn接合型結晶シリコン太陽電池」が開発されます。現在普及している太陽電池の初期型モデルとなる世紀の大発明であり、以後急速に太陽光発電技術が進歩していきます。

1958年には世界初の太陽電池搭載型人工衛星・ヴァンガード1号が打ち上げられ、1977年にはソーラーカー・ブルーバードが完成。世界各国で太陽光発電技術の普及が進みました。

日本における太陽光発電

日本でも50年代から太陽光発電技術の研究は進められていましたが、70年代のオイルショックがきっかけで本格的に需要が高まりはじめます。中東戦争の影響で石油価格が高騰。火力発電に依存していた日本で電気不足が頻発し、化石燃料の代替エネルギーとして太陽光発電の開発・普及を推進する「サンシャイン計画」が1974年に開始されました。およそ20年後の1992年には、日本ではじめて太陽光発電システムを導入した住居・桑野太陽光発電所が完成。民間住宅への普及が加速していきます。

90年代の日本は、太陽光発電業界においてまさに世界トップクラスの存在でした。しかし、1997年の京都議定書採択、2000年のニューサンシャイン計画終了、2005年の太陽光発電の補助金打ち切りなどをきっかけに世間の関心も薄れ、欧州や中国、アメリカにトップの座を奪われてしまいました。

そのため、2009年に太陽光発電普及拡大センター・J-PECが設立され、太陽光発電の補助金支給制度が復活を遂げます。さらに余剰電力買取制度も導入し、再び太陽光発電の普及活動が進められました。そして、2011年の東日本大震災の影響で脱原発運動が全国各地で展開され、国民の太陽光発電への関心が飛躍的に高まっていきました。2012年には「再生可能エネルギーの固定価格買取制度」がスタートし、多くの法人が太陽光発電業界に参入しはじめます。

しかし、2014年の3月をもって、太陽光発電の補助金支給は再び終了。(一部の地方自治体では継続中。)ドイツでは電力買取サービスの過剰普及により制度が破綻してしまったように、日本でも電力の買取価格が年々引き下げられており、太陽光発電業界は大きな転換期を迎えようとしています。